はじまり
明治時代以前からはじまったとされる『サワラ漁』は、播磨灘に沈む夕日がキレイな淡路島西海岸の洲本市五色地域で今も盛んに行われる。江戸時代、北前船の豪商と謳われる「高田屋嘉兵衛」を生んだ港町だ。
サワラ
「サワラ(鰆)」は、春を告げる魚といわれる。かつて春の解禁日には、高値で取引されることから先代の漁師たちは、われ先にとまだ日が昇らないうちからそそくさと暗闇の播磨灘へ繰り出した。大量に水揚げされたときには色鮮やかな大量旗を潮風になびかせ、漁師は得意な面持ちで家族や仲間が待つ港へと帰っていき、獲ったサワラを振る舞った。五色地域では今もなお、4月20日の解禁日には、脈々と受け継がれる男たちの血が騒ぐ。サワラ漁は11月末まで行われる。
サワラの特徴
サワラは、成長に従って呼び名が変わる出世魚で、大きいものでは1メートルになるものもある。とにかく足の早い魚だ。そのため、刺身をはじめとする生食文化は、神戸、大阪、東日本などではあまりなく、照り焼き・塩焼き・西京漬け・かぶら蒸し・押し寿司などが一般だろう。 五色地域のサワラの旬は、春から秋。春のサワラは、真子や白子と食べるとなんとも格別だ。また秋のサワラは『寒鰆』と呼ばれ、冬に向けて脂を蓄えたトロ顔負けの身は、美食家をも唸らせる。
味
ここ五色地域では古くから新鮮なサワラの刺身やタタキが、漁師たちの食卓を彩ってきた。五色町漁業協同組合長・福島富秋は、頬をほころばせながらいう。「サワラは、さっぱりとした中にも甘さがあって、新鮮なほど身が柔らかく中トロのようにとろけて旨い」。『生のサワラは皿まで舐める』といわれるが由縁だ。
づけ丼
淡路島のブランド米「鮎原米」の産地としても知られる五色地域では、田植えが終わると、「泥落とし」と呼ばれる慰労の宴が広げられてきた。まずはサワラの刺身で舌鼓をうち、つぎにタタキを堪能。宴も大いに盛り上がり、いよいよ終焉にさしかかる頃、サワラをづけにしてあつあつのご飯に載せて食べる。その『づけ丼』は、サワラの甘みとづけの風味がご飯に絡まり、ほっぺが落ちるほど旨い。
茶飯
さらにはサワラの骨を炙り、ダシをとって、サワラの刺身やづけをご飯の上にのせて熱いお茶やダシ汁を注ぐ『茶飯』は、口に流し込むものをみな至福にする。田植えの手伝いにきた早乙女さんへの食事として、栄養分が高く、食べやすいサワラの茶飯が振る舞われることが多かったという五色地域では、様々な祝い事の日には、新鮮な生サワラの料理は最高の『御馳走』『おもてなし』として食されてきた。
漁師飯
あまりにも足が早いといわれる生サワラ。これまで漁師町の人々以外では、あまり食べる機会がなかった。しかし、淡路島の食文化をできるだけ多くの人々に味わっていただきたいという想いから、漁師飯としての生サワラを、島の飲食店主人の協力のもと『淡路島の漁師飯』を商品化。島内の飲食店にて提供する。是非、島ならではの贅沢な味を手軽に皆様に堪能してほしい。